
私は、ずっと出口を探している。 この日本を覆う空気、あらかじめ全てをあきらめてしまったかのような虚無、あるいは、そこから何も生み出しようもない、自分以外のモノへの思考停止の依存は何なんだろう? 高度資本主義の強迫から生まれた、拠り所を求めて浮遊する個? 確かにそうかもしれない。国家、会社、学校、あるいは家族という近代の物語が崩れていくと同時に個人の価値観が問われ始めた。私たちは漂っている。 でも、拠り所なんていらないんだ、ということをなぜ、人は言わないのだろう?「大きな物語」はもう終わったのだ。自らコントロールできない物語など、私はいらない。自律した個人同士のミクロな関係性にこそ、出口があると思う。そして、そこからはじめて「私たちの物語」が始まるのだと思う。 この作品の主人公、雨宮さんは、民族派右翼思想に救われたと言う。社会と自分の接点を見い出し、虚...
某种程度上的世另我…渴望真实的活着,福祸相倚,左右互搏
不谈政治我们都还是好朋友。没想到最后解决政治立场冲突的是存在主义。
所谓民族主义,在我看来是无法作为一个独立人类存在的人,幻想中的某种绝对的信仰。换言之,正因找不到自我,才需要依存领袖与集体。这也是为何雨宫最后不愿交还摄影机,因为某种程度而言,每天对着摄影机的喃喃自语是她新的祷告形式,而土屋即是她的新神。而只要人格不独立,她就永远需要一个神。
消除左翼與右翼的界線的只有虛無。
《狂热分子》这本书里介绍到一种情况,德国纳粹会有意识吸纳曾为共产主义分子的人加入纳粹,共产主义狂热可以被引导为纳粹狂热,狂热的对象本质上并不重要,重要的是狂热这种情绪。 雨宫处凛对自己的认知非常清晰,她只是需要一种国家的民族的集体的叙事来锚定自己的身份。如果这位早出身几十年,估计就是赤军预备役。 很有趣的纪录片,被记录对象也有趣。
87分钟
51分
高清
USA: 96 分钟
80分钟